ブログのオーナーのプロフィールです。
神谷 純(あつし)です。
神谷純
「純」と書いて「あつし」と読みます。
性別は「男」です。
家族構成
50歳のときに結婚した、11歳年下の鹿児島県出身の嫁と二人暮らし。
東京の旦那と鹿児島の嫁のすれ違い、東京の旦那が知った鹿児島のいろいろなことについては、こちらのサイトからご紹介しています。
『東京の男に鹿児島の嫁が来て、いろいろ知った鹿児島のこと』
東京都鹿児島の風習や言葉の違い。鹿児島の魅力的な場所やグルメを綴っています。
生まれと育ち
東京の東の方(千葉県に近い)に生まれ、そこで育つ。
しかし、何を勘違いしたのか、横浜のはずれにある会社に就職してしまい、通勤苦から身体を壊す。
[st-kaiwa1]新卒の時の就職は本当に何も考えていなかったなぁと、自分自身にあきれる。大学の先生のコネに頼っただけですからね・・・。[/st-kaiwa1]
通勤を楽にするため湘南に一人暮らしを始める。
湘南はとても性にあった土地でしたが、会社の上司との意見対立で退職。
それを機に東京に舞い戻る。
東京のIT系企業に再就職。
実家でしばらく暮らす。
結婚を機に東京の都心に近いところに引っ越す。
しかし、また東京の北の方に引っ越すことに。
そして、現在に至る。
神谷純の職業
現在は自営業です。
職種はインターネットビジネス。
本サイトのブログ記事で、どんなことをやっているか、を綴っていく予定です。
経歴のフリーランスの部分を観てもわかると思います。
神谷純の経歴
1社目
文系の大学を卒業して、コンピューターの経験なしにIT関連の会社に入社。
それは、某王手Sirの協力会社。
そこで11年派遣社員として働く。
超大型汎用コンピューターのOSを開発していた
最初は超大型汎用コンピューターのOSの開発。
言語はアセンブラ。
「一番つぶしが効く」
と言われた言語と業務分野だと思っていたけど、これは間違いだったですね。
業務知識もつかず、応用できる分野も狭くて、
「一番つぶしの効かない言語とスキル」
だったと思います。
パソコンの仕事を希望したらOS2だった
「世の中はパソコンだ!」
と勝手に思い込み、パソコンを使っての開発を希望することに。
そこで移動されたのは、OS2を使っての開発。
なんでWindowsじゃないんだ・・・。
そのときに、
「OS2はマルチタスクも実現しているとても進んだパソコンのOS。Woindowsなんか目じゃない。」
と言われ納得してしまう。
のちに、優れていても広まってないんじゃな意味ないということをしりました。
自社開発部署へ
その後、グループウエアをWindowsパソコンで開発する仕事をちょこっとやって、自社に帰って、開発管理をやることになります。
大きな希望をもって、自社開発に取り組みましたが、一番大きな取引先の大手Sirの会社から天下りしてきた取締役とぶつかることに。
この取締役、状況をよく把握していない社員には、
「独自開発を伸ばしていって、将来は株式を公開する。」
なんて言っておいて、私やその部下には、大手Sirの小間使いみたいな仕事を持ってくる。
言っていることとやっていることが違うといつもぶつかっていた。
社長が仲裁役に入っていたが、だんだん向こう寄りになっていくのがわかり、「こりゃダメだ」と思い、退社に至る。
<反省点>
「嘘は絶対に許さない!」
という余裕のなさすぎの考えで、いつもガチガチに上司とぶつかっていた。
現実と理想のバランスを考える力が足りなかったという、未熟さがあったとは思う。
もっと視野を広く勉強をしていればよかったと。
2社目
心機一転、で比較的規模の大きいSir会社に再就職。
でもやっぱり派遣がメイン。
それでも、派遣の規模が大きかったので、ある程度自社で作業している雰囲気を味わえた。
最初は、比較的小規模な開発の開発員兼リーダー。
OS2のアプリをWindowsに乗り換える仕事。
結構気楽に仕事をしていました。
次は、20人くらいのグループリーダーとして乗り込む。
それも、開発ではなく銀行のシステム保守。
システム保守を20年とかやっているメンバーを取りまとめる。
それなりにこなしてはいたが、原付バイクで常にレッドゾーンまで上げながら仕事をしていた気分。
2年ですり切れて、異動申請しました。
それから、いくつかプロジェクトを経由したが、派遣だから、どこに行ってもアウェー感が。
これは心を擦り切れさせます。
この会社で最後の仕事になったのは、自社のシステム統合プロジェクトのシステム要員。
三社が統合するので、3つのシステムを統合しなくてはいけない。
各社の主張強すぎ。
調整の仕事がメインだったので、社内の人間関係の中ですり切れまくる。
プロジェクトが終了するとともに退社。
フリーランスに
2社目の後半の頃には、「独立して仕事ができないか」ということを漠然と思っていた。
しかし、何をすればいいのかわからず、ずるずると時を過ごすことに。
最後のプロジェクトのあたりで、アフィリエイトの存在を知る。
「これだったら何とかなんじゃない」
と思い、最後のプロジェクトを機に退職。
その時50歳でした。
フリーランスになったころ、あるつてから、
「会社のホームページ関連をお願いしたい」
とのこと依頼を受ける。
お互い試行錯誤だったので、最初の1年は無償で請け負う(実務を手伝うことがあったので、その時は実費とアルバイト程度の金額を受け取る)。
1年たって、見積もりを相手に提出したら、相手の態度が硬化。
そこで物別れに終わる。
そののちアフィリエイトを検討する中で、ドロップシッピングに出会う。
物販のアフィリエイトするなら、ドロップシッピングの方が利益理が高いと、ドロップシッピングを行う。
順調に売り上げを出し、副業系の雑誌に掲載されることも。
月商が200万円を超える(利益ではありません)。
雑誌の取材なども受け、さらに伸ばしていこうとかくさく。
しかし、2018年のGoogleのアップデートに沈む。
浮上を目指すが、株式会社もしもがドロップシッピングからの撤退を宣言。
他の、ネットビジネスへの転換を図る。
神谷純の取得資格
IT資格編
情報処理技術者試験
・第二種情報処理技術者試験 第22060041
・ソフトウェア開発技術者試験 SW-2001-04-04843
・プロジェクトマネージャ試験 PM-2007-10-00170
ITベンダー試験
・Oracle入門、SQL試験合格(オラクルシルバー)
・DB2 UDB V6.1/V7.1 User
・Installing,Configuring,and Administering Microsoft Windows 2000 Professional G94TOK029B
・ITILファンデーション
その他の資格
・カラーコーディネーター 45-00588 東京商工会議所
・米国NLPTM協会認定NLPプラクティショナー(継続しなかったので、認定期間は切れています)
・米国NLPTM協会認定NLPマスタープラクティショナー(継続しなかったので、認定期間は切れています)